読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

レイ・アーセルの教え子達4

アルフォンソ・ペパーミント・フレーザー。
ニコリノ・ローチェに勝ってWBA 世界Jrウェルター級タイトルを獲得したのが
72年の3月ですから、
同じパナマのロベルト・デュランがブキャナンに勝つ3ヶ月前。
ほぼ同時期にパナマ人二人が世界王者になっているわけです。


フレーザーを教えていたのがレイ・アーセル、
結局パナマコネクションがあったわけですね。
アーセルがデュランをみるようになったのはそういうこと。
正直、ペパーミント・フレーザーに関しては僕は雑誌等での文章で得た知識は
あるのですが、実際の試合をちゃんと観たことがありません。
ではなんで取り上げたのか?
一応ニコリノ・ローチェに勝っているのですからそれなりの実力者だとは思いますが、
それを前提にアントニオ・セルバンテスとの試合にフォーカスしたいからです。
72年10月の初戦(フレーザーの世界タイトル初防衛戦)が、
セルバンテスの10回KO勝ち。
73年5月の再戦(立場が変わってセルバンテスの3度目の防衛戦)でも、
セルバンテスの5回TKO勝ち。
セルバンテスは73年に5度も防衛戦を行っていてキャリアピークと言える
強さを見せていた頃ではないでしょうか。
フレーザー-セルバンテスは2試合ともパナマで行われています。
レイ・アーセルはセルバンテスのとんでもない強さを目の当たりにしているわけです。
教え子のフレーザーが何も出来ずに完敗したわけですから。
このことが、後々デュランの階級変更の妨げになった理由ではないかと。
セルバンテスはデュランにとってリスキーだということ。
当時マッチメークの噂はあったようですが。
デュランが何故140ポンドクラスのタイトルを狙わなかったのか?
ライト級タイトルを返上した後はもうウェイトが作れなかったらしいですが、
そこまで引っ張った原因がセルバンテスだったのかもしれません。
ダイジェストの動画を貼っておきますが、これ強烈ですわ。
もし73~74年頃にセルバンテスとデュランのマッチアップが実現していたら、
僕はセルバンテスの方が有利だったような気がしますね。
まあ、デュランはセルバンテス戦を回避して正解だったのでは。

http://boxrec.com/list_bouts.php?human_id=010282&cat=boxer