連休中のことをダラダラと。
19日は箱根に走りに行って疲労困憊、無理がたたって体からダメージがしばらく抜けなかった。
20日は朝から仕事だったが昨日の疲れを引きずってしまい業務終了後は動くのも億劫なほどぐったり。
何もする気にならなかったのでDVDで映画鑑賞。
『セッション(原題:Whiplash)』を観たのだかこれが面白かった。
最近観た映画の中ではベストだったかも。
低予算でよくぞここまでのクオリティを出せたものだと感心。
シンプルな人間ドラマなのだが僕的には奥が深かった。
主役の19歳の音大生が冒頭の朴訥した感じからだんだん狂気を纏いつつエゴむき出しの演奏家になっていく過程が『フルメタルジャケット』を思い出させました。
鬼軍曹の理不尽な扱きの件も含めて。
J・K・シモンズの怪演がね、効いている。
ジャズの話は確かに古臭いというか、出て来る固有名詞がチャーリー・パーカーとかなので一体何時の話だって感じだし、演奏技術のダメ出しもテンポのことばかりだしと突っ込む音楽通がいるのも解ります。
解りますが僕はそんなことはどうでも良かった。
マイルズ・テラー演じるネイマンはユダヤ系の父子家庭育ちという設定。
この作品で描かれる人間関係はネイマンと父親、ネイマンとガールフレンド、ネイマンと音楽教師(J・K・シモンズ)だけ。
家庭環境のことはほとんど掘り下げていないのだか、やや印象薄く描かれているネイマンの父親が実はキーになっていて、これがね、どう見ても母親的なのである。
言葉少なだが包容力のある優しさが滲み出る感じ。
それを象徴するシーンがラスト近く、シモンズ演じるフレッチャーに誘われてライブに参加するが意図的に恥をかかされてキャリアに終止符を打たれるような大ダメージを受けて舞台袖に逃げていく先に父親が待っている。
そこで傷ついた息子を抱きしめるところなんか母親の役どころですよね。
実は我が家も父子家庭なのでこういったシーンが身につまされる。
感情移入しまくりというか。
で、変質的に完璧な演奏を求める鬼教師フレッチャーが見方によっては父親的なのである。
指導方法に問題があるとはいえネイマンの能力向上に一切の妥協と温情を排除して取り組む姿はほぼ巨人の星の星一徹であり、つまり古典的な厳しい父親像(絶滅危惧種なのでしょうが)として描かれていたのかなと。僕は勝手に解釈しました。
それに応えるネイマンは星飛雄馬であり、並みの神経では指導に耐えられないので狂気を孕んいくのはある意味必然かなと。
多少歪んではいるけどある意味正当な父子関係の描写がこの作品の核なのではないかというのが僕の感想。
フレッチャーが本来的な意味での父親ですが。
本当の父親がこれだとおそらくドラマにならないでしょう。息苦しすぎてね。
この映画を観た後、息子に会いたくなってコンタクトを取りました。
単純なのです。僕は。
「遅ればせながら成人祝いをしたいのでメシでも食おう」
彼は東京に住んでいるので僕が車で出向きました。
それが21日。
下北沢のマジックスパイスで久しぶりに息子と会食をして帰宅したのが午前2時。
チャリの疲れが抜け切れていない中での東京遠征で疲労感倍増。
翌日は仕事だったがただただ惰性で動いてる感じでした。
23日は仕事が入らなかったので本来ならチャリに乗りたかったのですが、さすがに体が拒否してダメでした。