月一映画館デーに選んだのは湊かなえ原案、阪本順治監督、吉永小百合主演の『北のカナリアたち』
金曜の夕方の回で観客は僕を入れて3人。おかげで泣き顔を人に見られずに済みましたが。
基本、できるだけ邦画を観るようにしているのですが、作品をチョイスする根拠の大半はキャスティングです。
この作品も脇のキャストにお気に入りがいたことと、主な舞台となる極寒の礼文島、利尻島のロケーションに魅力を感じて選びました。
湊かなえの「二十年後の宿題」が原案となってはいますが、作者から連想されるダークストーリーの印象はなく単純なお涙頂戴ものだったかなと。
まあ、吉永小百合を看板にしていますからターゲットになる観客は小難しいストーリーを期待してはいないでしょうからそれに合わせていましたね。
興行的な成功を狙うなら正解でしょう。
ただ、せっかくこれだけのキャストを揃えたのですからもうちょっと人間の心の闇や恋愛の理不尽さに踏み込む内容にしてほしかったというのが率直な感想です。
北海道の離島の分校に赴任した教師(吉永)と分校の6人の生徒の交流、そして人間関係を引き裂く死亡事故の背景、そして20年後に生徒だった一人が引き起こした殺人事件の捜査が重層的に描かれます。
大人になった6人(森山未来、満島ひかり、勝地涼、宮崎あおい、小池栄子、松田龍平)が20年前の事故とのかかわりとその後の人生への影響をショートストーリー的にオムニバス構成してストーリーを組み立てていますがメインは吉永と脳腫瘍で余命わずかな夫(柴田恭平)との人生ラストステージでの心の交流です。これに自殺願望のある警察官(仲村トオル)との不倫がからみ、病死へのカウントダウンで葛藤する夫を支えなければいけないにもかかわらず自ら命を絶とうとする仲村への恋愛感情に悩むところがストーリーのキモになるはずなのですが、この重要になるプロットが何故か淡白にあっさりと描かれています。吉永小百合ありきなのでしょうがないで済ましたくない部分だと思うのですけどね。
映画のストーリーに奥行きを求めるタイプの観客ならばこの映画を観終わった後にモヤモヤ感を抱いてしまうのはそのあたりが原因でしょうね。
一方で、単純に感動して泣ければいいタイプの観客には最高のカタルシスを提供してくれます。
20年前の事件の全体像が明らかになり、トラウマをある程度払拭した6人(実質3人)が最後に廃校になった学校の教室で再開するシーンは流石に泣けました。
殺人事件を起こした森山は逮捕されていて、本来そこにはいけないはずでしたが、警察官の松田が刑事にドゲサで懇願して許される件から涙腺は決壊。森山が感動して叫ぶシーンではボロボロ、グズグズという感じでした。
愚直で不器用な吃音持ちキャラをナチュラルに演じた森山の演技と20年前は森山を苛めていた松田のツンデレぶりにやられましたね。
ただその感動シーンを生んでいるのは生徒役の脇の俳優たちであり、主役の吉永ががっちり関わっていないところがね。それもなんとなくスッキリしない後味を生む原因なのかもしれません。