彼のバイオグラフィー(親に出生届を出されず、まともな教育も受けさせてもらえず、虐待された暗い生立ちとその後の犯罪まみれの半生とマフィアコネクション)か連敗したクレイ(アリ)戦ネタばかりがヒットする。
そしてそれは僕の子供の頃のメディア(主に雑誌)の扱いと何ら変わらない。
だからか僕は長いことリストンへの関心は薄かったし試合をまともに観ていなかった。
もっとも、当時は観たくてもクレイ戦とパターソン戦くらいしか入手できる映像はなかっただろうが。
ソニー・リストンの識者の評価は高そうでいて実は低い。
それはアリの引き立て役として機能させようとするからである。
こんなに強いリストンに勝ったクレイ(アリ)は凄いというロジックだ。
クレイ戦時のリストンは実はピークを過ぎてスピードがなくなっており、ヘビーウェイトとしては素早いクレイを捕まえ切れなかった。
この試合を観る限りでは、リストンの凄みはわかりにくい。
彼の全盛期はタイトルホルダーになる以前、50年代後半だ。
例えばクリーブランド・ウィリアムスとの2戦とかね。
僕がリストンに対する見方を変えるきっかけになったのは、10年くらい前にエマニエル・スチュアートのインタビュー記事を目にしたことだ。
「50年代後半のリストンはヤバい。信じられないほど強いよ。」
とコメントしていた。
エマニュエル・スチュアートがリストンをそこまで高評価していることが意外だった。
彼が好むファイトスタイルとは思えなかったからである。
僕の当時のリストンのイメージは、鈍重なハードヒッターというもの。
で、興味を持ってリストンの50年代の試合の動画を探して観始めた。
驚いた。
まったくイメージと違う。
なんだこのディフェンスの上手さは。
ジャブも一級品だ。
よく伸びるし強い。
ミドルウェイトあたりのストレートより破壊力ありそうだ。
ジャブで相手が吹っ飛ぶってあまり見たことがなかったから目を見張ってしまった。
「こりゃ、モノが違う」
スチュアートのお墨付きがなくとも高評価しただろう。
上手くてパワフルでスケールが大きい。
簡潔に表せばそういうボクシングだ。
もし全盛期のリストンだったらクレイには負けなかったと思う。
そう確信した。
スピードが落ちて戦力ダウンしてからでもフロイド・パターソン程度であれば子供扱いする地力はあったのだから。
60年代70年代のヘビーウェイトはモハメド・アリというアイコンを飛び越えたスポーツヒーローが君臨していたので他のヘビーウェイトは否応無しにサブキャラ位置付けで語られてしまう。
人気商売のプロスポーツの宿命で、オンリーワンの人気者とその他ライバルみたいな。
その他の中にはアンダーレイトなファイターがいる。
マスコミにキャラ付けされて年表の中でフォントをちょっと大きくしてもらっているだけのね。
ミッドセンチュリーの北米の実力のあるファイターとマフィアとの関係に関しても、
潔癖なスポーツビジネスを望む方が無理がある。
だって試合組んでもらえないのだから。
連中と繋がらないと。
八百長云々に関しては少なからずあったのだろう。
それもまた当時のプロボクシングの宿命。
リストンのパトロンもマフィアであったことは確かだが、実力がなければマフィアもスポンサーにはならないわけで。
きな臭いサイドストーリーばかりで語られるリストンなので一般的なスポーツファンは思い入れを持ちにくいかもしれないが、リング上でのパフォーマンスは実に素晴らしかった。
バイアスかけずにリストンの全盛期の試合を観れば印象が変わると思う。
今はネット動画でいくらでも観れるしね。
メディアにより アリのライバルカテゴリーでサブキャラ扱いされたために正当に実力評価されていないレジェンドファイターとしては他にラリー・ホームズがいる。
ホームズも気の毒なくらいアンダーレイトなファイターだ。
メディアにより損な役回りを押し付けられ、ネガティブなイメージを植えつけられてしまった犠牲者だ。
ネットで情報を主体的に手に入れられる今だからこそ先入観を排してファイターのリアルな姿を確認するべきだと思う。
今更再評価されたところで彼らは喜ばないかもしれないが。
「当然だろ」
と。