Saturday 8, June 2019
Madison Square Garden, New York, New York, USA
Commission - New York State Athletic Commission
Promoter - GGG Promotions - Gennady Golovkin, GGG Promotions - Tom Loeffler
Matchmaker - Charles Bosecker
Middleweight Contest, 12 Rounds
マッチアップ:★★
スリル:★★★
スキル:★★
印象度:★★
近年、絶滅危惧種になりつつある倒し屋について。
海外のメディアはKOアーティストという表現を用いることがあるが、それとは微妙に意味合いが違う。
単にKO率が高いファイターのことではなく、
つまり数字が意味付けているわけではなく、
単にハードヒッターだからというわけでもなく、
つまり物理的に突出したコンタクトパワーがあるからということではない。
では、何?
簡潔に表現すれば、
「そのファイターの試合ぶり、アクション、絵面そのものが観戦者に与えるインパクトが大きい。」
例えるなら、ホラー映画鑑賞。
観客はわざわざ好き好んで非日常的恐怖感を味わおうとする。
ボクシングはある意味とても残酷な競技であり、パンチを打ち込まれた者が意識朦朧とした状態でマットに横たわったりしているわけで、彼らが明らかに健康を犠牲にしていることを忘れてはいけない。
そしてフィクションの映画とは違いリアルだということが残酷なシーンのエンタメ性を高めている。
勿論競技ルールの範囲内だから許されているが、モラル的に突き詰めて考えてしまうとボクシング廃止論者の考えに行き着いてしまう。
人間はスリルや恐怖をエンタメとして受け入れるたがる部分があり、ボクシングのノックアウトシーンというのは正にスリルとサスペンス満載の娯楽のキモなのだ。
そのキモを毎試合のように提供してくれるファイターが倒し屋なのである。
ジェイソンや貞子が出てくると誰かが確実に殺されると観客が予感させらるのと同様、
倒し屋がリングに登場すれば、対戦相手が無慈悲に打ちのめされマットに沈む予感しかしない。
果たして観客の予感(期待?)通りのストーリーがリング上で展開されるわけだ。
現役のファイターで、ここで定義する倒し屋に当てはまる者がいるとしたら、それはゴロフキンだけだろう。
ロールス戦はステータス的にやや前に行かれてしまったカネロとの第3戦へのアピールマッチという位置付けだと思うが、内容的には十分だったと思う。
新体制で戦術的にどう変わったかは正直わからなかったが。
「ディフェンシブでやりにくそうだな。」
という印象のロールスだったが、鍵開け名人が開かずの金庫の解錠をしてしまうように攻略の糸口を探られてやがて崩壊した。
ゴロフキンが倒し屋たる所以は各ラウンドともポイントを取りに行く戦略ではないということ。
別に本人に聞かなくてもわかるほど明確だ。
彼のオフェンス力が通じる限りストーリーは完結する。
多少打たれるという指摘は的外れだ。
だってオフェンシブなスタイルなんだから。
決定的なハードヒットされなければそれで良いし、更にはゴロフキンを凌ぐオフェンス力を有するファイターは少なくともミドルウェイトのトップレベルにはいないのだから。
慎重かつ柔軟なファイトをするカネロはある意味ゴロフキンにとってやりにくい相手だろう。
しかもパンチがあるから隙をみせると自分が倒されてしまうからね。
どっちかがきっと倒れるだろうなと目の離せないスリリングなファイトを3戦目に期待したい。
往年のクラシックファイト、トニー・ゼール対ロッキー・グラジアノのようなね。
フルラウンド戦ってどっちが勝ったかわからないようなクロスファイトはもういい。
カネロもゴロフキンもタフで倒れないイメージがあるから尚更インパクトがあると思う。