楽しみにしていた映画、『ダンケルク』を観てきた。
一般的に戦争映画(第2次大戦ものにしろベトナム戦争ものしろ)は上映時間が長いのがお決まりだ。
スピルバーグの『プライベートライアン』は170分だし、
コッポラの『地獄の黙示録』は150分という具合に。
戦闘シーンばかりでは観客が疲れてしまうから人間ドラマをほどほどに盛り込むからどうしても尺が長くなる。
ボリュームたっぷりというのが戦争映画のイメージで、観る側にもそれなりの体力を要求する。
『ダンケルク』は上映時間106分と短く設定されている。
が、ほぼほぼ戦闘シーンで占められており、
全編に渡ってテンションが異様に高く映像の密度も観客が受け止めきれないほど。
正に怒涛の106分。
久々に傑作を観たなと実感した。
戦闘シーンばかりで人間ドラマに乏しいのかというと、そんなことはない。
骨太なヒューマニズムをきちんと描いている。
金字塔と言って良い『プライベートライアン』以降、戦闘シーンのリアルさの追求が決まりごとになっていて、そこに戦争の惨さや理不尽、そして無意味さを見出しつつ、かすかに見え隠れする希望の光(ヒューマニズム描写)で感動させるというのがスタンダード化しているが、本作もその系統にあるもの。
『アメとムチ』というか、
『ジキルとハイド』というか、
両極端を同時に提示することでそれぞれの印象を深める効果があるのだろう。
セリフ自体は少ない。
狂言回しの役回りも見当たらない。
ストーリーを追う観方をするのではなく観たままを素直に受け止めて何かを感じる類。
強い刺激があるのと同時に感動があるという本来相容れないはずのエンタメ要素を無理なく盛り込んでいることが凄い。
戦闘シーンと書いたが、厳密には一方的にやられている戦場から撤退することだけを描いている。戦闘機によるドッグファイトはリアルに描かれているが、撤退を助けるためにスピットファイアが援護しているだけ。
イギリス軍とフランス軍は表記されるが、ドイツ軍やナチスというワードはいっさい出てこない。
エネミーという単語だけが頻繁に出てくる。
ハインケル爆撃機やメッサーシュミットやUボートは表記されるので言わずもがなということか。
戦闘機のシーンは本物を飛ばしているのでリアルさが半端ない。
僕のような戦闘機好きには堪らない。
身を乗り出してスクリーンに見入ってしまった。
これだけでチケット代の元が取れた。
クリストファー・ノーランは余程スピットファイアに思い入れがあるのだろうね。
最後の砂浜の上を燃料切れしたスピットファイアが低空飛行するシーンは突然ファンタジーモードになったので笑ってしまった。
戦闘機ファンが涙を流して喜ぶほどかっこ良い飛行シーンが描かれている。
日本人の零戦信奉に近いものを感じた。